WASPの州のカトリック王国・南ルイジアナの音楽
レコード・ジャングル 中村政利
11月2日の合州国(我執国)大統領選挙は大方の予想通りの大激戦となり、国を二分する勢力の拮抗が地図上でもはっきり示される結果となった。あらためてその勢力地図を見て思うのは、ニューイングランド、西海岸、北部工業地帯、ハワイなど、ほかの民主主義国との交流が盛んな地域は民主党の地盤だし、南部や内陸などの諸外国との接触の乏しい地域はかならず共和党の地盤であるということである。WASPすなわち、白人でアングロ・サクソン(英国)系、プロテスタントからなる主流派アメリカ人たちが独善的に自分達の価値観を主張できる地域が内へ向いたアメリカだということなのだ。とくにディースサウス(深南部)と呼ばれるアラバマ、ミシシッピ、テキサス、ルイジアナ、ジョージアなどの諸州はもっとも強大なブッシュ政権の支持基盤となっている。
だが、住人の多数派であるWASP(新教に信仰の厚い英国系白人たち)だけがその地の文化を担っているわけでは決して無い。ディープサウスの諸州は必ず対抗文化としての黒人文化の色合いが顕著な地域でもあるからだ。それに加えてテキサス州ではメキシコ系のチカノ文化の色合いが強烈なことは先月紹介した。そして今回紹介するのはフランス系の混血文化の色合いが強い南ルイジアナの音楽だ。
ルイジアナにフランス系の文化が息づくには歴史的な理由がある。ルイジアナという名称からも推察されるとおり、もともとここはフランスのルイ王朝の領土であった。建国して25年しか経たない合州国がナポレオンから買い取ったのがメキシコ湾岸からカナダ国境にまで続く広大な当時のルイジアナであったのだ。すでにミシシッピ川の河口近くのスワンプと呼ばれる沼地帯には英仏戦争(1755〜63)でカナダの植民地アカディア地域を追われたフランス人たちが川を下って移り住んでおり、故郷を追われたものたちに特有のコミュニティの結束を誇っていた。国名は代わっても人々の日常生活は簡単には変わらない。
もっとも頑強なWASPの牙城ディープサウスの一角で、言葉はフランス語、宗教はカトリック、民族はラテン系という対照的なフランス系の地域文化がケイジャンと呼ばれて花開き、さらにはそれが黒人文化と混ざり合ったクリオール文化が発達してきたのだ。
“Memories”と題された大きな写真集がある。ニューオーリンズからテキサス州のヒューストンまでのせいぜい東西400キロの南ルイジアナで1920年代から80年代にかけて活躍した音楽家たちのポートレイトをみずからも「スワンプ・ポップ」を60年代から歌ってきたジョニー・アランがまとめたものだ。大都市といえるものなどひとつも無い、アメリカ的に考えれば狭い地域の中で、多様な地域音楽が発達し数多くの個性的な音楽家たちが活躍していたことは驚異的なくらいだ。地域の音楽ジャンルとして挙げられているものが12、そして紹介されている音楽家の数は1300人を超すのだから。中にはパートタイムの音楽家もいたかもしれないが、逆に肖像写真ひとつ残さなかった無名のアーティストもあるに違いない。ここがアメリカのほかのどこよりも音楽的には芳醇な地域のひとつであることに疑問の余地は無い。
1. Amede Ardoin “The Roots Of Zydeco” (ARHOOLIE/FOLKLYRIC 7007) \2520
こんにちケイジャン音楽の花形楽器といえば、スクイーズボックスとも呼ばれるアコーディオンだが、そのもっとも初期のパイオニアのひとりが黒人だと聞けば驚く人は多いだろう。アミディ・アルドワンはブルース界のロバート・ジョンソンに比すべきケイジャン音楽界の伝説的アコーディオン・プレイヤーだ。
そもそもバイオリン主体で演奏されていたケイジャン音楽に19世紀終わりごろにアコーディオンを持ち込んだのがかの地でクリオールと呼ばれる黒人音楽家たちだった。ケイジャン最初の商業録音といわれるジョー・ファルコンの“Lafyette”が1928年に成功を収め、アコーディオンという楽器に注目したコロンビア社は翌年タレント・スカウトをかねたアコーディオン演奏競技会を開催する。そこで優勝してレコード・デビューを果たしたのが貧しい小作農民であるこのアミディであった。
白人バイオリニストのデニス・マギーとのコンビで録音した曲を中心に1930年から34年までの26曲がこのアルバムに収録されている。ワンステップ、トゥーステップ、ワルツなど、ケイジャン伝統の楽曲にシンコペーションを強調したメリハリの強いリズム感覚を持ち込み、せつないシャウト唱法が聞き手のこころをかきむしる。
大恐慌時代の貧しい農民たちもレコードのかれの音楽に熱狂した。しかし、ステージで見てかれが黒人だと知ったときその感情は複雑に変化する。若い白人女性ファンが差し出したハンカチで顔をぬぐったと、ただそれだけの理由で人気絶頂のアミディはステージから引きずりおろされてリンチされ自動車で何度もひき潰されて二度と演奏することはできないままに療養施設で命を終えた。
2. Iry LeJeune / Cajun’s Greatest (ACE CDCHD428) \2520
アミディ・アルドワンの死後20年を経ての後継者にしてケイジャン音楽界の時代を超えた最高のスターがこの1950年代に活躍したイリ・ルジューンである。ウェスタン・スウィングなどの流行で、一時的に衰退していたケイジャン音楽とアコーディオンは、このイリの活躍で南ルイジアナのダンスホールには無くてはならないものとなったのだ。
最初バイオリン奏者を目指していたイリはアミディの古いレコード盤に出会うことでアコーディオン奏者に転向し、ドラムやギターやバイオリンやスティールギターを擁し時代に適合したダンス音楽を目指したバンドのなかで、わがままなくらい全編にわたって自分のアコーディオンと歌声だけを前面に立てた音楽を演奏し続けた。その歌声の哀切感の狂おしさはこの上ない。加えて時折、哀しさが極まったかのように入る合の手の叫び。激情を振り払うがために、ありったけの感情を歌声に隠しているような気さえする。ボクの知る限りでは、アメリカ白人が生み出したもっとも切実なボーカル・ミュージックがここにある。
イリは生まれつき極度の近眼であったといわれる。あるいは、歌声にこめられたエモーションは身体上のハンディもそのひとつの要素として働いたのかもしれない。人気がいよいよ高まった1955年、その近眼ゆえに事故に逢い、最愛のアミディと同様に自動車でひき殺されて一生を終えた。
3.Clifton Chenier /Zodico Blues & Boogie (Ace CDCHD 389) \2000
いまでは南ルイジアナのアコーディオン音楽は白人中心のケイジャンと、クリオールと呼ばれる混血黒人が中心のザディコと分類されることが多いがザディコの歴史は古いものではない。ザディコとは端的にいえばアコーディオンを使った南ルイジアナ風のR&Bであるからだ。マスメディアの発達により、ルイ・ジョーダン、ラッキー・ミリンダーやリギンス兄弟などの戦後R&Bがこの地の黒人たちを大いに沸かせていたことは間違いない。そして黒人たちがザディコを演奏するきっかけとなったのがイリ・ルジューンと同時期に出現したこの黒人アコーディオン奏者クリフトン・シェニエの存在である。
シェニエはサックスやエレキ・ギターがバックを固めるR&Bスタイルのバンドを従えて、従来のボタン式よりもブルースの和音を作りやすい鍵盤式アコーディオンを用いて強烈にストンプする。曲もシャッフルや、三連リズムのブルースが主で、クリオールなまりの英語で叫ぶようにとるボーカルは豪快そのもの。
おそらく土地の黒人コミュニティのダンスホールで、「地元のバンドによる激しいR&Bでリンディーホップを踊りたい」という若者たちの要求に応えるべくして生み出されたのがこのザディコであったのだろう。
バックを勤める弟クリーヴランドのアルミの洗濯板をスプーンでこすったりそのスプーンを重ね合わせてたたいたりする日用品パーカッションもダウンホームないい味を出している。
4.Cookie & The Cupcakes / Kings Of Swamp Pop (ACE CDCHD 142) \2520
南ルイジアナに特徴的なリズムとして3連符の多用ということがあげられる。ニューオーリンズのファッツ・ドミノのヒット曲をはじめとして、ライトニン・スリムやスリム・ハーポなどのスワンプ・ブルースマンたちもこのリズムを多用した曲が多い。なかでも、フィル・フィリップスの「シー・オヴ・ラヴ」を皮切りに、50年代のR&Bやロックンロールをルイジアナ流に咀嚼して作られた60年代のスワンプ・ポップこそ、この3連バラードの宝庫というべき音楽ジャンルだ。当時は、感涙ポロポロのおセンチ・バラードは「ティア・ドロッパー」(落涙ソング)や「ティア・ジャーカー」(お涙頂戴ソング)と呼ばれ個別のジャンルとして数えることもあるくらいに人気を博したものなのだ。
このクッキーとカップケイクスは甘口バラードを得意とするお菓子のようなその名に恥じない黒人R&Bグループ。「スワンプ・ポップの王者たち」とのタイトルに偽りは無い。クッキー、シェルトン・ダナウェイ、リトル・アルフレッドたちのボーカル陣は、ルイジアナ特有の締まりの無いユルユルのスワンプ・リズムとコーラスにのせて思いっきり、情緒たっぷりに愛を歌う。
数年前にリバイバルして日本へもやってきた女性ブルース・バラディアーのキャロル・フランがデビュー後まもなく歌った「グレイト・プリテンダー」も入っており、その味わい深さも特筆ものだ。
「60年代のソウル・バラードが好きならば、どうしてクッキーに手を出さない」とソウル・ファンに一喝したいくらいに、ボクはこのグループにぞっこん惚れている。
5.Johnnie Allan / Promised Land (ACE CDCHD 380) \2520
先に紹介した“MEMORIES”という写真集を愛情たっぷりに編集したのがこの白人スワンプ・ポッパーのジョニー・アランだ。
1971年、サザンソウルのシングル盤を集めた「ソウル、、、熱い想い」という国内編集盤が発売され、その中で初めて紹介されたチャールズ・マンという無名の歌手が、オ−ティス・レディングの曲をこの上ない情熱を込めて歌い、ソウル・ファンたちの話題となったことがある。正体不明のディープ・ソウル・シンガーとして騒がれたそのマンが、この写真集ではスワンプ・ポップのアーティストとして掲載されている。それも、メキシコ系の白人としてだ。
初期のケイジャン音楽と同様に、スワンプ・ポップのアーティストにも音楽上は白人と黒人の境界はあいまいだ。そんなものは無いといってもいいかもしれない。カップケイクスに相応する白人バンドとしてブギ・キングズがおり、キャロル・フランに相応する白人ソウル歌手としてマーゴ・ホワイトがいる。さしずめ、このジョニーやロッド・バーナードや日本でも「ジュディーのごまかし」のヒットで有名なジョン・フレッドはクッキーやフィル・フィリップスに相応する白人スワンプ・ソウル・シンガーとして位置づけてよいのかもしれない。
アルバム・タイトルとなっているチャック・ベリーのロックンロール曲のカバーにはケイジャン風味満点のアコーディオン・ソロが入って最高の味わい。僚友トミー・マックレインの「スイート・ドリームズ」やスワンプ・ブルースマン、クラレンス・ガーロウのペンになる「プリーズ・アクセプト・マイ・ラブ」などはお定まりの3連バラード。甘い声だがどの曲もそのソウル度は高い。
残念なことは、60年代にヒリヒリするようなソウルやR&Bを歌っていた白人スワンプ・ポッパーたちが、70年代以降はカントリー歌手としてどんどん軽くなってしまうこと。時代の要請とはいえ寂しい限りだ。
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