特攻を美化する「醜い国」       

                   

レコード・ジャングル 中村政利

 

 書店へ行くたびに、社会書コーナーに平積みされている本のタイトルや帯を見ては、暗澹たる気持ちになる。いさましい口調で排外的な主張を訴えている書物のなんと多いこと。平積みされるからには、それなりの支持を得てはいるのだろう。中国、北朝鮮、韓国そして米国への罵詈雑言がそっくりそのままタイトルとなっている。
 格差や矛盾が広がり、社会不安が増せば増すほど、偏狭な民族主義や攘夷思想が勢いづくことは歴史が証明していることだ。そして、そんな排外主義が身近な問題からひとびとの目を遠ざけることになるから、政治家にとっては都合よく機能してきたということも。
 とくに、森、小泉、安倍へと受け継がれる政治的にも経済的にも米国に追従しようとする政権は、その一方で、中国や北朝鮮を仮想敵国と位置づけることを政権運営の機軸におき、危機や恐怖をあおりたてて、国民をカビのはえた民族主義や国家が個人の権利を制限する国家主義のもとに統合しようとたくらんでいるように見受けられる。
 太平洋戦争中の東條英機が首相を務め安倍の祖父である岸信介が政権の中枢にいたころの、軍と秘密警察が厳しく監視して、ひとびとをひとりの例外もなく政府の思惑通りにあやつれる強権国家こそが、かれらが理想とする「美しい国」なのだろう。その強権国家体制を否定した「戦後レジューム」からの脱却とは、逆に戦後民主主義を否定し戦前の国体(国家体制)を復活させることだと推測できる。
 国連中心主義を標榜しながらも、かれらの目指す国連改革とは、その機能不全のもっとも深刻な病巣である安全保障理事会・常任理事国の大権を削減させることではなく、自分たちを理不尽な特権階級であるその常任理事国に加えろという覇権大国エゴイズム丸出しの支離滅裂なものだ。日本国憲法に明らかな、世界全体を見渡しての平和主義という視点ではなく、世界を支配する列強に米国の補佐役としてでも加わりたいという古い時代の帝国主義的な展望の存在がそのことからも明らかであるし、その目的ためになら、じゃまな憲法はさっさと変えてしまいたいという反動主義政権であることは明白だ。
 小泉純一郎が首相として知覧の陸軍航空隊特攻基地記念館を見学して以来、「国のために身をささげる純粋な気持ち」が枕詞として付けられ美化される様になった特別攻撃(特攻)とは、かれらがあこがれとする東條内閣時に対米戦争に多用された作戦である。飛行機や潜水艇やモーターボートに爆薬を積んで、体当たりの自爆攻撃することで戦果を挙げようとする戦法で、その搭乗員には年端のいかない少年兵が充てられた。
 最小の軍備で最大の効果をあげるという意味では、もっとも効果的な作戦である。国家のため、家族のため、郷土のために自分が犠牲になるという精神は確かに純真で尊いものかもしれない。だが、そんなことを子どもたちに強いる国家は醜悪そのものだ。しかも、その国家が子どもたちのイノチと引き換えに守ろうとしたものは国土でもなければ人命でもない。「天皇を中心とした神の国」という国体だけだったのだからなおさらだ。
 立場を逆転させて想像してみて欲しい。物心がついたころから、日本人は鬼やケダモノであると叩き込み、その日本人をできるだけ傷つけたり殺したりすることが名誉なことだと洗脳教育するとんでもない国があるとしたら。そしてその国から、死んだら神様にして祀ってやるとたぶらかされた少年たちが悲壮な決意のもとに身体に爆薬を巻いて自爆テロに押し寄せてくるとしたらと。大人としての判断が尊重されるアルカイダの自爆テロリストたちのほうですら、はるかに理性的な存在だ。
 特攻に象徴される、愛国心の名のもとに個人が全体のために犠牲となり奉仕することが美しいとされる社会を考えると、教育基本法改悪を手始めに安倍政権がもくろむ教育改革に恐ろしいものを感じるなという方が無理である。

  十二年前に亡くなったぼくの父は、戦争中、海軍の主計兵として航空隊の特攻基地に勤務していた。
特攻隊は形の上では志願制度を採っている。だが血気はやる二十歳前の少年たちは、腰抜け呼ばわりされることを何より嫌っていたし、先輩たちが華々しく戦死していったことに憧れを抱いていたから、先を争って全員志願した。また軍もそんな子どもたちの気質をうまく利用した。
 いよいよ出撃の日、あるものは晴れ晴れと達観した顔つきで、また、あるものはうつろな表情を浮かべて、さらに、あるものは酔ったように興奮し、また別のあるものはつとめて元気を装って搭乗していった。だが、ひとり、どうしてもやっぱり死ぬのはイヤだと暴れて飛行機に乗ろうとはしない少年がいた。
 上官はかれを鼻血がでるまでぶちのめし、無理やり操縦席に座らせると、ロープでかれを座席に結わえつけて、整備兵にエンジンを始動させた。飛行機はためらいためらい離陸していった。
 志願した少年も上官も整備兵もみんな泣いていた。
 敵前逃亡は銃殺刑である。靖国に祀られることもなければ、故郷に御旗を飾ることも無い。隊も故郷も家族も恥辱にまみれることとなる。上官はみんなの名誉を守ろうとしたのである。

  軍国主義が骨の髄にまで浸透していた父はおそらく「美しい国」の美談としてこの思い出を話したろうが、ぼくはこの国を再びそのような「醜い国」にしてはならないと思って聞いた。
    
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