魑魅魍魎が跋扈するニューオーリンズという都市の音楽 

アメリカ本土でもっともエキゾチシズムあふれる都市としてアメリカ人自身が憧れを抱くのがルイジアナ州ニューオーリンズである。「新しいオルレアン」とその名からしてフランスとのつながりを想起させるが、フランス文化だけがこの街を染めているわけではけっしてない。18世紀にフランス人が入植し、ルイ王朝の植民地ルイジアナの中心地としてミシシッピ河沿いに建設されフランス文化が栄えたこの街は、19世紀初頭ナポレオンのルイジアナ割譲によって建国間もない合州国へと売られ、中南米諸国との貿易の窓口として発展した。もちろん当時は盛んであった奴隷貿易の中心地でもあった。

すなわち、フランスやスペインなどのラテン文化と、英国を起点とするアングロ=サクソン文化、さらにはカリブ海文化やアフリカ文化の集合地であったというわけだ。それらは並立するとともに混じりあい、さらには北米先住民(インディアン)の文化も流れ込んで独特のクリオール文化を創り上げてきている。

宗教的にも、南部全体に強い影響力を持つプロテスタントだけではなく、ラテン系のカトリックや、アフロの色濃いヴードゥー教の一大中心地となって、八百万の神たちが集まり、信者以外にはまさに魑魅魍魎が跋扈する「呪われた街」となって人々を魅了し続けてきている。

まさに、ニューオーリンズへ行けば何かがある、ニューオーリンズへ行けば何でもあると、アメリカ人にとどまらず世界中の刺激を求める人々と、みずからの居場所を失くしたデラシネ(根無し草)のような漂泊者たちとを惹きつける魔力あふれる街なのだ。

アラン・パーカーがミッキー・ロークの主演のもと1987年に監督した「エンゼル・ハート」という映画はそんなニューオーリンズという街の「闇の深さ」と「魔性」とを描いて秀逸であった。魂を悪魔に売り渡して命を得た主人公が悪魔に預けた魂ゆえに意識のないまま殺人を重ねていく。ニューオーリンズという街はそんな人間の原罪と、その業の深さとを表現するにふさわしいたたずまいをもっている。

今回はそんなニューオーリンズに育った音楽と、この街の魔力に引き寄せられた者たちの音楽とを紹介したい。

 

Dixie Cups / Complete Collection (  Marginal MAR 077) 1964/65 ¥2580

多くのガール・グループが輩出した60年代前半、ニューオーリンズから跳び出したのがこのディキシー・カップスという3人組。50年代にニューオーリンズで人気歌手となり全国区のヒットも飛ばしてティンパンアレイとの繋がりもあったジョー・ジョーンズが、かのじょたちをニューヨークへ連れて行き、フィル・スペクターやジェフ・バリー、エリ−・グリニッチたちに紹介したのは64年のこと。かれらの手になる「チャペル・オヴ・ラヴ」の大ヒットで一躍ロネッツやクリスタルズに匹敵する人気グループへの仲間入りを果たした。

 だが、ボクにとって興味深いのは、ニューオーリンズ特有のリズム感を積極的に取り込んだ「アイコ・アイコ」や「トゥー・ウェイ・パッキャウェイ」などの自作曲。セカンド・ライン(第2列)と呼ばれるこれらの曲のビートは、葬式の帰りの行列の音楽とも、カーニバル時の裏通りの行列の音楽とも解釈されるが、いずれにせよ、その独特のシンコペーションはカリブ海音楽のリズムとのつながりを強く想起させるものなのだ。特にタンバリンとベースだけを伴奏に歌われる「アイコ・アイコ」のベース・ラインはファンク・リズムのはじまりを感じさせずにはおかない。2番目の大ヒットとなったこの曲はセカンド・ライン・リズムが世界に認知されるきっかけを作ったものとして記憶されるべきだろう。蛇足ながら、くれぐれも短縮形でDカップスなどと呼ばないように。またディキシー・チックスと混同しないようにご注意ください。

 

Snooks Eaglin / Soul Train From Nawlins ( P-vine PCD 4789) 1995 ¥2625

 ディキシー・カップスがニューオーリンズのローカル・グループだった頃、すでに当地で第一級のR&Bセッション・ギタリストとして活躍していたのがこのスヌークス・イーグリンだ。ただし、当時は同じ盲目のスリーピー・ジョン・エスティスが再発見されたブルース・リバイバルの時代。その器用さゆえに、生ギターを持たされてフォークソングやブルースを弾き語るソングスターの役回りをアーフリーやフォークウェイズなどの白人フォーク音楽レーベルから押し付けられてしまう。ボクが30年前にスヌークスを知ったのも国内盤として出されたそんな地味なカントリー・ブルース歌手としてのものだった。だから87年にブラックトップから出たバリバリのニューオーリンズR&B歌手、そしてギタリストとしてのアルバムには腰が抜けるほど驚いたものだ。

 これは95年に来日した折のライブ録音。ボクが見た日はCDでは5曲目にあるファッツ・ドミノの「ハロー・ジョセフィン」で始まり、ニューオーリンズR&Bやブルースのスタンダード、スティーヴィー・ワンダーやアイズリー・ブラザーズのヒット曲まで古今の名曲のオン・パレード。選曲にも人間ジュークボックスとして2000曲のレパートリーを誇るスヌークスのセンスがあふれており、そのどれもがニューオーリンズ風にファンキーに料理されていてゴキゲン。驚嘆すべきはギターワーク。唄いながら、コード・ストローク、アルペジオ、オブリガート、そしてソロと、シンコペーションあふれる多彩なリズムを右手の5本指すべてを使って弾きこなす。ゴマカシの効かないライブ録音だからこそその時の興奮がよみがえる。ロバート・ロックウッドのライブ盤と並ぶ、世界に誇る日本録音盤だ。

 

The Wild Magnolias / The Wild Magnolias  (ポリドール POCP 2317) 1974 \2200

そのスヌークスがワウワウやファズ・トーンを大胆に使って、ファンク・ギタリストとしての真価を初めて発揮したのがこの1973年に録音された、ワイルド・マグノリアスというブラック・インディアンのお祭りグループとのセッションだった。

18世紀の半ば、フレンチ&インディアン戦争として戦われた7年戦争以来、当時フランス領だったニューオーリンズには北米先住民の文化が流入し、黒人奴隷たちと混血することを通じて、同じ部族社会の伝統を持ちながらもそれらを奪われてきた黒人文化と合流した。由緒正しく誇り高い先住民の末裔となった黒人たちは、マルディグラ(カーニバル)にインディアンの衣装を纏い、先祖の霊に祝詞をあげて、カネやタイコを伴奏に呪文や囃子言葉を唱えながら行進する。

そのブラック・インディアンの行進音楽にファンクのリズムをつける先鞭となったのがこのアルバム。バンドのリーダーはウィリー・ティーで、60年代からライバルのミーターズとともに、ゲイターズを率いてセカンド・ラインのファンク化の実験を繰り返してきた音楽家。ミーターズの側も負けじと3年後にはワイルド・チャピチュラスという別のブラック・インディアン・グループのもとにファンク・アルバムを作ってお返しし、いまではニューオーリンズのファンク音楽とブラック・インディアンとは切り離せないような関係となっている。

民族の記憶を確認し新しい表現の可能性を獲得したという意味で、この作品は、伝統文化の現代化の問題へのひとつの回答となっており、新しい伝統を模索するすべての人々に普遍性あふれるよき前例となっていると思う。

 

Willy De Ville / Victory Mixture ( Vivid Sound VS 1081) 1990 ¥2625

 来日する前にニューオーリンズを拠点に活動した19世紀の英文学者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)をはじめとしてこの地の魔力にとりつかれた魂の漂泊者は数多い。ニューヨーク出身のパンク歌手、ウィリー・デヴィルもまた仮の魂の宿りをこの地に求めた者のひとりだ。

ブルースに引き寄せられて音楽を始めたティーンの頃、飽き足らぬ想いからロンドン、サンフランシスコでロック・バンドを結成した20代前半の頃、そしてミンク・デヴィールというバンドを率いて70年代後半にニューヨークのパンク・シーンの中心にいた頃を通じて、この音楽家の心にはヒット・チャートとは無縁の、真に生活に根ざした言葉どおりの意味でのポップ(生活感あふれた)音楽への憧れがあったのだろう。さまざまな音楽遍歴のはてについに見つけた「伝統がアナーキーな自己表現の糧となる音楽」。それが、この地で異質なものを取り込みながらも常に新しい伝統へと増殖を続けているニューオーリンズのR&Bだったのだ。

アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、エディー・ボーといったニューオーリンズ音楽の大御所たちのサポートのもと、全曲この地のスタンダードのカバーでありながら、この作品にはいびつなリアリティとさわやかな新しさとがある。異質なものを糧としてそのフィールドを広げていくという意味ではウィリーもニューオーリンズの音楽も、その目指すものが一致し、互いの個性を盛り立てているからなのだと思う。

 

久保田真琴&夕焼け楽団 / セカンド・ライン

(日本コロムビア COCA 9979)1979 ¥2345

学生時代の一時期、このバンドに入れあげて、ほとんどすべての演奏会に足を運んだ思い出がある。ハワイ、沖縄、メキシコ、中国などと世界各地の音色、メロディー、リズム、グルーヴを咀嚼して彼ら自身の肉体的なノリで再構築するさまにいつもホレボレし、その自由な広がりをもった音楽にいつでも心の解放感を味わっていたものだ。

78年、ある音楽雑誌で久保田のニューオーリンズ訪問記を読んで、ワクワク心待ちしたのが全編ニューオーリンズR&Bスタイルできめたこのアルバムの発売だった。とはいっても、これは紛れも無い久保田流ガンボ(ニューオーリンズのごった煮スープ)。沖縄風味やチャイニーズのスパイスや、和製ポップスやロックの伝統もちゃんと生きている。

そもそも様々なエスニック表現を呑み込むような混血文化こそニューオーリンズ音楽の伝統なのだから、久保田流とはニューオーリンズ流そのものと言っていいのかもしれない。

このアルバムのあとプロデューサー業に専心し、自分名義の作品を作らなくなった久保田だが、ようやく20年を経て99年には細野晴臣と「ロード・トゥ・ルイジアナ」をそしてソロ名義では2000年に「オン・ザ・ボーダー」を発表して変わらぬルイジアナ音楽への愛情を表現している。それらの2作品もニューオーリンズという都市の魔性あふれる闇と湿度までが描かれて傑作だった。

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